Crazyforyouの季節 by蚊 (*´з`)

もう蚊が飛ぶ季節になってきました。

よほどの研究者とかで無い限り、蚊が好きな方は見たことありません。就寝時に耳元で「プ~ン」と音がするのは誰だって嫌なモンです。

蚊の活動は気温25~30℃で活発になり、1番好むのは水分。2が臭い。3が温度だそうです。つまり私の様な、汗臭い、小太り中年が一番好まれる訳です。困った( ゚Д゚)

ちなみに虫よけスプレーなどが無い場合は、汗を防ぐデオドラントスプレーなどでも代用出来るそうです。小さいスプレーなら普段から持ち歩いている方もきっとおられる。有効に使いましょう。

そういう私はとりあえず加齢臭だけは発生させないように気を付けよう・・・(^^)/

マッサージはどこで受けても同じ?

先日、ある高齢男性の方をマッサージしていてこんなことを聞かれた。

「マッサージはどこで受けても同じことをやるのですか?」と。

私は一瞬「はい?」となったが、すぐに「ナルホド。そう考えるのも一理あるな」と思った。
もう20年くらいこの業界にいるわけだが、私はそのようなことを考えたこともなく、とても新鮮な質問に感じた。

その方曰く、温泉地などの宿泊先でマッサージを受けたことは何回かあるらしいが、当院のような所でマッサージを受けたのは初めてだった。
これまで受けた温泉でのマッサージというのは、人や場所が変われど、大体似たような手技のマッサージだったが、今回受けた私のマッサージが、それまで受けたモノとは違ったので、そのような疑問を持ったらしい。

確かに治療の手技やマッサージなど、一般の方から見たら、運転免許の教習と同じように、どこで学んでも同じことを学習し、統一した資格を得て、それを実際の現場で使っていると考えていても不思議ではないことだ。
しかし現実は、施術する人や場所によって同じことを行うわけでは無いので「似て非なるもの」となっている。
どのようなマッサージが施術者の基礎となっているかは、人それぞれだが、養成学校で学んだ方法や、最初の修行先で身に着けた方法、またはお師匠さんや先輩に教わった方法がその施術者の基礎的な手技なっている人が多いのではないだろうか。

温泉でのマッサージが、どこで受けても似たように感じたのは、恐らく「温泉街で宿泊客へのマッサージ」というある種のジャンルの出どころ(良く言えば、その流派の元祖)が同じで、それが各地に広がっていったからだろう。

ちなみに私は特定の師匠や修行先は無いので、養成学校で取得した方法や、仲間が行っている手技、または自らがマッサージを受けることにより、「良かった、使える、効果的」と感じた手技を自分の方法に落とし込んで実際に使用している。従って〇〇法や〇〇流派ではなく、ごちゃ混ぜのチャンポンの様な手技なので悪しからず・・・。

ついでに言うと、この質問をされた高齢者の方だが、その後は数回通院して頂いたので、私の手技がダメだった訳では無かったようだ。(^^)/

 

シーズン初日が出た🎣

相撲では、力士にとって、その場所の初勝利を「初日が出た」と表現する。そのことから、私が釣りを行う時に、「春になってシーズンが開幕し、初めて1本キャッチした」という時に、この言葉を勝手に使用している(笑)。

基本的に私はフロッグゲームしか行わないので、4月中旬~10月中旬までがシーズンとなる。
例年だと4月中旬の陽気の良い日に試運転がてら1回フィールドに繰り出すのだが、最近はまあ釣れた試しは無い。それでも以前であれば、GWの前後に初日が出るのだが、ここ数年はなかなか釣れない。ひどいシーズンは、秋になっても1本も釣れておらず、シーズンオフ間近の10月になってようやく釣れたということもある。

狙うのはもちろん雷魚だが、同じ生息エリアと釣り方でナマズが釣れることがあるので、仮にナマズだったとしてもそれは大歓迎だ。

この日は県内の河川に繰り出し、あるポイントで回遊してくる魚を狙った。暫くの間は全く反応が無かったが、小一時間経過した辺りで「ガボッ」と出た。60㎝近い丸々したナマズだった。雷魚ではなかったが、私は大満足だった。

今回は釣果は勿論のことだが、シーズン初日がGW中という事は久し振りのことだった。幸先が良いスタートを切れた。つまり今シーズンは期待しても良いのか?(笑)




ロデオのナマズ用ポッパーで出た!
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AYRTON SENNA没後25年

先日の5月1日でアイルトンセナが、あの悪夢のイモラで亡くなってから25年となった。いまだに熱狂的なセナファンである私は、SNSやYouTubeなどで頻繁に動画を見ているせいか、それほどの時間が経過したようには思わないが、もう四半世紀も経つか・・・という感じである。

初めて実際に見たのは88年の鈴鹿サーキットであった。赤白の色鮮やかなマシンにブラジルカラーの黄色いヘルメットが印象的だった。そのレースで優勝し、自身初のワールドチャンピオンになった。
翌89年も鈴鹿へ行った。ターボエンジンが廃止となり各マシンの差が以前と比較し小さくなったが、セナの速さは一層際立っていた。F1というモンスターマシンをまるでカートの様に扱っていた。
かつて私の周りにはアンチもいたが、実際の走りを目の当たりにして欲しかった。おそらく皆が虜になったのではないかと思う。
その年以降90年、93年と鈴鹿で観戦したが、あの89年が他のマシンと比較して最も速かった。(91、92年は人気の為、チケットが取れなかった)

それにしてもセナの走りを80年代から見ていて感じていたことは、スポーツでも何でもそうだが、突き抜けた成績を残す人は必ず何か他のことが犠牲になっている。
特にモータースポーツというのは、元々ヨーロッパの貴族達の中のスピード狂が始めた競技だが、当時の車の安全性は現代とは比較にならない程低かった。
その中でスピードを競うということは、死と隣り合わになる。だからこそ、勝った者は大変な勇者として賞賛されたのである。しかしそれでは命がいくつあっても足りないということで、マシンの性能が向上すると共に、スピードが増してきた70年代から安全性の向上が謳われ、現代に至るのだ。
その流れの中でレース中の事故によって死亡するレーサーの数が随分と減った。(60年代くらいまでは往年の名ドライバーの多くはレース中に亡くなっている。)しかし、いくら安全性が増したとは言え、ギリギリまで攻めれば攻めるほど、命の危険性は増す。その中で最低限のマージンを確保しながらレーサーはタイムを削るのである。

セナの走りの凄さは、たとえF1をドライブするような超1流のレーサーでさえ感じる、まさにギリギリの、「もうこれ以上はヤバイ!」という一線を、本能的にスッと超えてしまう所だ。予選や雨の速さはまさにそう。それを常に優勝争いという大変なプレッシャーの中でやっている。観戦している側の我々としては、セナのその僅かでも前に行こう、タイムを縮めようとするそのスリリングな姿に魅了されてきたわけだ。(逆にそういった姿勢が軋轢を生むことも多少はあった。)

どの世界でも天才というのは短命であることが多いが、あのような存在のレーサーはタイムを縮めながらその結果、自らの命も縮めている。
ジム・クラークやジル・ビルヌーブがそうであったように、セナもいつかは分らないが、いずれレース中の事故で亡くなるだろう。私はそう思っていた。時代を超越した天才ドライバーの宿命のようなものである。
そのことを当時のある仕事上の先生と雑談の中で話をしていたら、「それじゃあジェームズ・ディーンみたいだな」と言われた。(ジェームズ・ディーンも若くして車の事故で命を落としている)

その2年後、まさにそうなった。ポールポジションからスタートし、トップを快走したままタンブレロの壁に突っ込み帰らぬ人となった。

サーキットにいる時のセナは、カメラの前ではそれなりの表情をするが、それ以外ではいつも悩んでいるような憂いのある顔をしていた。
速く走る、そして勝つために常に考え悩んでいたし、多大なストレスも感じていたのだろう。
セナの全盛期にHONDAの監督をしていた後藤氏がのちに、「セナは日本では天才と言われるけど、彼は半分以上は努力の人ですよ。」とコメントしていた。単に速く走る才能だけでは、あれだけの結果を残すことは不可能である。緻密な計算を重ね、ひたすら実行していかなければならない。

そして誰よりも速く走ることに執念を燃やした結果、自らの寿命も削ってしまった。セナは彼らしく、最後の最後まで最速のレーサーのままだった。

当の本人は事故死どう思っていたのだろう。仕方ないと思っていたのだろうか?いやそんなはずは無い、あと2回はワールドチャンピオンを獲りたかったはずだ。

あの94年は開幕から不調だったが、このイモラ、そして次のモナコから調子を上げてくるだろうと思った矢先、まさかのエンディングだった。

私個人としては、セナがキャリアの下降線を辿る姿は、出来れば見たくなかったし、前述した様に、いずれこうなることも予想していたが、突然のことだけにショックだった。

青白のロスマンズカラーに黄色いヘルメットのセナが、鈴鹿サーキットを疾走する姿を観たかった。これだけは今でも残念で残念でならない。