夏の高校野球三重県大会が終了した。
決勝は接戦の末に津田学園が辛くも勝利を収め優勝した。甲子園ではその実力を存分に発揮して欲しい。
当院の患者さんにも高校球児がいるのだが、大会前に聞いた話では津田学園と三重高校が有力だと聞いていたので下馬評通りの結果にはなったが、実際にトーナメントで勝ち上がるのは簡単ではない。
外野の人たちは好き勝手言っているが、やっている方は死に物狂いの一戦必勝で臨んでいる。
勝つには実力もさることながら運も味方にしなくてはならない。
大差で勝つならまだしも接戦だった場合、もし数日後に同じチーム同士で再戦したら結果はどうなるか分からないのが現実だ。

それでも結果的に優勝するのはやはり様々な要因が1枚上手だったということになる。
それは体力、技術、戦略、メンタル、周囲への感謝や日頃の行いかも知れない。そういった諸々の事柄を勝利の女神様は常に見ていて、肝心な時に審判を下すのである。
仮に結果が伴わなかった場合は、女神様が今後のために試練をお与えになられたのだ。
必死にやってきたのに失敗や敗北など誰でも認めたくは無いが、そう解釈した方が納得がいく。それに敗北のショックはのちの大きなエネルギーとなる。(人にもよるが)
プロで活躍する選手に甲子園優勝経験者が思ったより少ないのはそういったことが理由だ。
さて前置きが長くなったが実は私は津田学園高等学校を出ている。
この10数年、県内では野球の上位チームだし、学科によっては有数の進学校になっているので立派で敷居の高い高校の印象があるが、私はそこの1期生である。
ただ当時はどうだったかと言うと、学校にとって立ち上げは、とにかく生徒を定員まで集めないことには学校経営が成り立たないので周辺の地域から何とか生徒を集めたという印象がある。しかも敷居は下げて。
従って現在のような進学校のイメージは無かったし、部活もレクレーション的な活動が多く、本腰を入れているのは無かったと思う。

また小さい頃から少年ジャンプやマガジンなどの漫画を読んでいると、高校生が主人公の連載がよくあり、子供ながらに「高校生活というのは実に華やかで刺激的で面白そうな3年間なんだ・・・」と勝手に思っていた。
しかしこの学校は出来たばかりなので伝統のようなものも無いし、高校の3年間でどういった経験を積んでいくような見本も無いし、自ら文化活動など何かに主体的に取り組む青写真も無かった。もちろん勉強についても然り。
あとから何と無気力で勿体ない高校生活3年間だったのだろうと何度も思ったし、実はその当時からも薄々分かっていた。また現実の高校生活は、漫画とは全然違う世界なんだと知ったとういか、自分自身のエネルギーの無さを思い知った。
私にとって高校3年間は一般的な花の青春時代とは無縁の暗黒時代だった。
さらに部活は中学からの流れでバスケットボールをやっていたのだが、人数も少ないし、全くやる気はなかった。
しかも2年になって新しく顧問になった先生は、県の審判部長をやっているような熱血指導者だった。
その顧問の先生は更に母校愛を鼓舞させる為に、出来たばかりの校歌を部活の終わりに歌わせるのだ。
体育館の真ん中に数人で円陣を組んで校歌を大声で歌う。当然周りに人がいるので皆クスクス笑っている。恥ずかしいのなんのって。
で、私はこれらに耐えられず2年生時に退部した。
この高校での部活の経験は私の中では更なる黒歴史である。人に話したことも殆ど無いし(高校では部活やってませんと答えている)頭から消し去りたいような出来事だった。

あれから20年以上が経過し、その母校は毎年甲子園を狙える実力を付けた。
野球部が出来たと聞いたのは確か卒業して2年くらいしてからだろうか。
初めて出た公式試合はテレビで観戦していたが、メッタ打ちされていた。
だが創部5年で春の選抜に決まり、全国でも話題になった。
その後は春夏合計5回出場という県内の強豪校となり、特に夏の1回戦は必ず勝っている。これは大きな自信に繋がる。
今年の夏も県内を順調に勝ち上がりベスト4に辿り着いた。
24日の準決勝は休みだし、試合会場の津球場は近かったので観戦に行った。
入場料700円を払い津田学園の1塁側の内野席で観戦する。
午前9時でも既に暑いが、海からの浜風が吹いている。グラウンドではあまり風を感じないだろうか。それにしても選手や審判は大変だ。
試合は昨年の覇者である菰野高校との投手戦になり、息詰まる接戦の中、僅差で勝った。

スタンドにはブラスバンド、チア、応援団、選手のご家族などで埋まっており、大歓声であった。
県内ではとっくに強豪だが、実際に観戦したのは初めてだったので、この野球部の為に大きな歯車が動いているのを肌で感じた。在校時には想像だにしなかった景色だ。
試合後は勝った津田学園の校歌が流れた。県大会でも準決勝になると校歌斉唱があるのだ。初めて知った。
卒業して40年近く経過したが、幸い校歌はこれまで何度か甲子園で勝った際に聞いているし、何といっても体育館の真ん中で何度となく歌ってきたので忘れることなどあり得ない。
校歌を斉唱する選手達の向こうにセンターのスコアボードがあり、その先に真夏の景色が広がっている。とてつもないプレッシャーの中を勝ち上がった選手達の後ろ姿が実に頼もしく見え、それと同時にあと1つ勝ち上がってくれと希望を託す。
暗黒というより空白のような3年間を過ごし、しかも野球部とは何の関わり合いも無い只の一期生だが、この日の母校の野球部が何とも誇らしく思えた。

この記事へのコメントはありません。