東京オリンピックへの【負】な想い

何をしたいのか良く分からなかった東京アラートが解除され、この三重県でも19日から感染拡大地域への往来が、不要不急の場合も関係なく自由となった。
ただこれまで継続してきた感染予防対策は充分に継続しながら行わなくてはならない。

それもそうだ。名古屋辺りならまだしも、東京へ行くとなるとさずがに三重県民には緊張感が走る。しかし感染が発生するケースは限定的な感じがするので、これまで通りの事を普通にしていれば大丈夫だろう。あまり神経質になってもストレスが溜まるだけだ。
都内でもあの「はとバス」が再開しらたしく、少しずつ活性化しているようだ。このままであればコロナもやがて収束していくだろう。

だが今後の問題の1つは外国人の受け入れである。
いずれビジネス上必要な方から渡航が自由になるが、観光客はいつになるのだろうか?ようやく国内で封じ込めたのに、外国人が出入りする事により再び増加する懸念がある。特にアメリカ大陸では感染者は増加している。

それに延期となったオリンピックは果たして来年開催されるのだろうか?
つい最近まで外国から見た日本人は清潔に敏感すぎると揶揄もされていたが、感染爆発を起こした国から見たらこんな安全な国は先進国でそうそうないだろう。

で、オリンピックだが、コロナを恐れて規模を縮小する案が出ているが、縮小ってどうするのだろう?選手はやり甲斐を感じるのだろうか?これは最悪中止を考えた場合の前段階としての位置づけだろうか?
いきなり「中止します!」といっても反発が多くなるので、その為のワンクッションの気がする。

言っておくが私はスポーツや試合は大好きである。
大人になった後も競泳、バーベル、柔道の試合にも出場してきた。
競技オリンピックも大好きだし、それに人生を掛けてきた選手の気持ちも多少は分かる。仕事で携わっている友人もいる。
ただここ20年くらいのオリンピックを見ていると、かつてはアマチュアの祭典と言われた競技オリンピックはもう名ばかりで、商業オリンピックの臭いがプンプンしている。
お祭り騒ぎに盛り上げて、全てをゼニとしてしか見えていない人間が多過ぎると思う。(オリンピックに限らず何でもそうだが・・・)

そもそもアマチュアの祭典と呼ばれたオリンピックにプロが出場するなんて、本人にとって何か大きな意味があるのだろうか?シーズン中であれば必ず本業に悪影響があるだろうに。
それにマスコミもオリンピックの結果だけを持ち上げすぎている。柔道の篠原は世界選手権を何度も制しているが、オリンピックではミスジャッジにより銀メダルだった為に、肩書には「オリンピック銀メダリスト」と紹介されてしまうのは柔道ファンである私としてはどうも納得がいかない。
またマイナー競技に光が当たるのは良い事だが、それを毎回していたら規模も予算も拡大するばかりでキリが無い。
開催毎に大きくなっているそんな最近のオリンピックに辟易していた。

今回の東京オリンピックも復興五輪としての位置づけであったが、実は私は東京に開催が決定した時に、日本スタッフの喜ぶ様子が移された瞬間、全身にムシズが走った。
なぜなら震災のあった地域ではその時でも行方不明になった身内の手掛かりを何か1つでも見つからないかと海岸や瓦礫の山を探している方や、仮設住宅で今後の見通しが立たず、不安に駆られている方が沢山いたはずだからだ。そういった方々の心境に殆ど寄り添うことも無く、何をそんなに浮かれて騒いでいるのだと思えた。もちろん日本人選手の活躍によって日本全体に活力を与えようという目的もある。
しかし私には復興五輪なんてただの大義名分に聞こえる。五輪を開催出来るだけの資金や労力があるなら被災地を救済する方が先ではないか?とその時真っ先に思ったが、今でもそれは変わらない。

したがって私自身は今回の東京オリンピックはあまり乗り気ではなかった。もちろん個人的には見てみたい選手はいるが、チケットの応募も行わなかったし、テレビ中継で観戦出来ればそれで充分である。
コロナの影響で延期が発表された時は何だか溜飲が下がる思いだった。

もう一層の事、これを機にシンプルにしてしまってはどうかと思う。やはりオリンピックはアマチュアの祭典であるべきだ。

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