日本の夏は猛暑の夏( ;∀;)

今年は梅雨が早々に明けてしまい猛暑が2ケ月以上も続くのか?と恐れおののいたが、1週間くらいで台風が発生したのを機に、また梅雨の様な日が続いていて、最近になってようやく夏っぽくなってきた。
猛烈に暑い日が無いのは有難いのだが、天候が定まらないのでゴルフの予定が立てられないし、釣りのフィールド状況も日々変化してしまう。どちらも天候に左右されるだけにもどかしい。当たればラッキーだが、外れたら残念である。

ところで日本の猛暑は東南アジアの人でさえ「自国より暑い!」と揶揄されるくらい暑いのだが、私が子供の頃はこんなに暑くなかった。この40年間で温暖化しているのは事実のようだ。(原因は二酸化炭素の増加ではない)
昭和の頃は、夏の最高気温はせいぜい32~33℃。たまに34℃。全国予報を見ていると時々九州地方などで35℃を越える日があり、「やはり南の方は暑いんだな」と思っていた。
それがいつの間にかこの東海地区でも真夏に35℃を越える日が当たり前になってきた。
さすがに35℃以上は身体に堪えるし、特に屋外での活動は危険が伴う。

私の妻が夏になると「一体この日本はいつからこんなに暑くなったのか?」と毎年言っているが、私の答えはいつも同じで「94年から」と機械的に答えている。

この問いに明確に答える事の出来る人は案外少ないが、私ははっきり覚えているのだ。1994年という年を。

なぜなら94年という年は私にとって激動の年だった。
よく覚えているのは次の3つの事柄で、
①職場の1年上の先輩が退職したので、その先輩の担当していた仕事のいくつかが私に回って来た。
②知多半島の阿久比にある「財団法人スポーツ医科学研究所」のリハビリ室に週2回研修に行く事になった。
③夏から職場に近くのアパートで独り暮らしを始めた。
他にも色々あったが主なのはその3つである。

まず①だが、四日市にある高校の強豪(県内で)2チームの体力面を見ることになった。
女子バスケ部と硬式野球部だ。
女子バスケ部は週1回その高校に行き、筋トレの指導を行っていた。確かそれまで外の仕事は担当した事が無かったので、往復の運転が楽しかったのを覚えている。
野球の方は別の高校で、オフシーズンの体力強化のみの担当だったが、当時その高校は甲子園の常連校だったので、とてもやりがいがあった。
ただ営業中のスポーツクラブ内に高校球児を何十人と入れてトレーニングさせるので、一般会員さんには随分ご迷惑を掛けてしまった。

②これが私の人生にとって今でも強い体験として印象に残っている。
職場の研修で知多半島の阿久比にあるスポーツ医科学研究所(以下スポ研)に週2回車で通っていた。
研修は午後2時からスタートするのだが、早めに着いて車中で昼食を摂る時に、この夏はあまりにも外が暑いので、車の外気温計をチェックすると40℃を軽く越えていた。
私の愛車はこの年で3回目の夏だったが、これだけ温度が高くなったのは初めてだったのでよく覚えている。
スポ研での研修は、あらゆる事が刺激的で私のその後の人生にかなり大きな影響を与えた。
しかしストレスも多く、珍しい事に猛暑と相まって夏に食欲不振に陥った。(スポ研での話はまた別のブログで書く予定)
それとこの年は猛暑の為に各地で水不足となり、水道の供給量が制限された。
しかも知多半島は大きな水がめが無いので、他の地域よりも節水制限が厳しく、財団法人の建物でもそれは例外でなかった。
トイレで用を足しても洗浄の水がチョロッとしか流れないのである。だからトイレ全体がいつも臭かったのを覚えている(苦笑)
さらにプールの水も同じ状況だったので、あまり綺麗な水では無く少々濁っていた。トレーニングとして泳がせた選手には申し訳なかった。

③7月の後半に家庭の事情で独り暮らしをする事になった。
随分前から、人生で一度は独り暮らしをしたい。と思っていたので丁度良いタイミングだった。
職場の近くに月¥45000で2DKのアパートに移った。
この時にあまりにも暑い夏なのでエアコンを購入した。今では当たり前だが、当時は自宅でエアコンの効いた部屋で就寝するなんて一度も無かった。しかしこの暑さでエアコン無しではとても無理だと思ったので設置した。
初めての独り暮らしは広いし職場も近いし実に快適だった。主体的に生活している実感があった。
食事はどうしてるのか?とよく聞かれたが、以前にレストランの厨房でバイトしていた経験があるので、何とかなった。
週2回はスーパーに買い出しに行って総菜やら肉やらパンやら買っていた。冷凍食品も沢山売られているので、電子レンジがあれば問題ない。白米も毎日炊いていた。
それまでは実家暮らしだったので、上司からは暗に「実家から通っているのは生活が楽だよな」という目で見られているのが嫌だったので、その点でもストレスが無くなった。

他に94年の特徴として、その前年は真逆の冷夏だったので、全国的にコメの生産が悪く、翌94年には細長いタイ米が代替品として出回った。それだけだと日本人の口に合わないので、白米と合わせたいわゆるブレンド米として売られていた。ちなみにブレンド米が出回ったのは結構覚えている人が多い。(しかしそれが何年の話かは全員覚えていない・・・笑)

この後は毎年夏が猛暑になったかは分からないが、94年を機に35℃を越える日が当たり前になったのは間違いない。
それまでの人生の中で最も目まぐるしかったこの年が、35℃以上の猛暑の夏と一緒になって記憶の中にはっきり残っている。
1年程前だったか、あるラジオ放送で気象予報士が「全国的に猛暑が始まったのは94年からです。」とコメントしていたので私は正しかった。

今後はどうなるのだろうか。温暖化が更に続くのか?または噂されている氷河期が来るのか?

前の狼、後の虎。願わくば昭和の気候に戻って欲しい。





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