芝上の苦心惨憺 さよなら王者

年末も差し迫る頃、起床時にスマホをチェックして驚いた。

あのジャンボ尾崎選手(以下ジャンボ)が亡くなったと。
確かにこの1年以上は表舞台に出てこなかったように思うが、まさか闘病中でしかもお亡くなりになってしまったとは。しばしの間茫然としてしまった。

ジャンボの存在を認知したのはいつ頃だっただろうか?
青木功はハワイアンオープンで優勝したシーンは当時のニュースで見たし、中嶋常幸が初の賞金1億円を超えたのも記憶としてあるし、その頃は父が毎週ゴルフ中継を観ていたので80年代の後半には知っていたのだろう。

私が初めてゴルフのラウンドをしたのは90年代前半だったが、その時代はジャンボが2度目の全盛期で毎週優勝争いをしていた。会社のコンペで回った四日市カントリーの長いパー5を、その年の日本オープンでプレーしたジャンボが2オンを狙ってグリーンオーバーしたと聞いたときは「ジャンボの飛距離は異次元か!」と思ったものだ。(私はグリーンまで5打は掛かったと思う)

当時ある大会で18アンダーで優勝した時のインタビューで「来週も18アンダーで優勝します!」と大勢のギャラリーを前にして宣言していた。次週はどうなるのかと思いきや、本当にそれくらいのスコアでまたも優勝してしまった。この有言実行にには驚いた。
また最近知ったのだが、当時のジャンボは体調を考え、年間30以上の大会がある時代に20試合も出るか出ないかくらいだったらしい。それで毎年賞金王になっていた。まさにゴルフ界の王者だった。

そんなジャンボだが、私は東建のプロアマ戦で2回見たことがある。その時の年齢は64歳くらいだったろうか。まだまだスイングはシャープで、レギュラー男子の平均的な飛びはしていたと思う。
その試合では2本の新作ドライバーをテストしていたようで、あるパー5のテーショット前に椅子に座って順番を待っている5分くらいの間、その2本を代わる代わる持って、次はどっちで打とうか考えているようだった。
順番が回ってきてティーショットをしたのだが、思ったより右に行ってしまったようで「捕まらねえなあ~」とつぶやいていた。

また最終ホールでは2打目がグリーンに乗らずラフに行ったので、キャディーから渡されたウェッジを持ってグリーン方向に歩いているのだが、その途中でフと思い立ったのか、立ち止まりウェッジをソールして何度か素振りをしていた。
ラウンドでのプロの所作を何度か見てきているが、普通はあまりそんなことしない。次に打つ場所に到着してから「ここからどう打とうか」とイメージして素振りをするくらいである。
つまりジャンボは歩いている間もずっと次のスイングのことを考えていたようだったし、24時間365日ゴルフを考え、しかもそれを何十年とやり続けてきたのだろうと思った。
あれだけの実績のある選手があの年齢になってもそれである。並みのプロでは絶対にかなう筈が無いのは当然だと確信した。

ちなみにとあるゴルフライターさんのYouTubeによれば、ジャンボ尾崎の誕生で日本のゴルフコースは600弱だったのが2500くらいになったらしい。また練習場はそれまでより3000~4000くらい増えたとされている。またクラブを含める用具や関連グッズなど含めるとこれまでにとてつもない経済効果を生み出している。これだけ影響力があったのはジャンボの存在あってのものだ。
ジャンボが出現しなければ、日本におけるゴルフというスポーツは、大人がたしなむマイナースポーツでしか無かっただろうし、もちろんアメリカに次ぐ世界第2位のゴルフマーケットの国にはなっていなかった。

ジャンボの前にジャンボ無し、ジャンボの後にジャンボ無し。
不世出の大スターの全盛期を茶の間で観戦し、実際にこの目でプレーする姿を見たことで日本のゴルフ界を背負って引っ張ってきた巨大なパワーを感じる事が出来た。野球界なら長嶋茂雄のような存在だ。もう二度とこのような選手は出て来ないだろう。ご冥福をお祈り申し上げます。

関連記事

  1. ヤフオク

  2. 困った( ゚Д゚)

  3. タイガーウッズ

  4. 2021新年明けましておめでとうございます。

  5. 10万円はどちらへ~?

  6. 2021夢の国釣行記

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。