やわらの道へ

このブログでスポーツに関連する話は沢山してきたが、柔道の話は初めてである。
私はこれまで多くのスポーツを体験してきたが、何が1番面白かったかと言えばそれは「柔道」であった。
普通は柔道を始めるとなると、小さい子供の頃に近所の道場に通ったり、学校体育の授業で行うというパターンが多い様に思うが、私の場合は始めたのが26歳になってからと、一般的には随分と遅い年齢になってからであった。
私はサラリーマン生活を経てから、独立の資格を得る為に専門学校に入った。接骨院を開業する為には「柔道整復師」という免許が必要で、その資格を取得するにはどんな素人でも一応は初段程度の技能を取得する義務があったからだ。


そもそもなぜ接骨院の資格が「柔道整復師」という聞きなれない名前かと言うと、昭和の頃は街中の多くに柔道場があり、怪我の多い柔道でその処置や治療などを柔道の先生が行っていたというのが始まりである。今現在は柔道場も少なくなったし、整形外科も沢山あるので、こんな野暮ったい名前にしなくても良いのだが、一応その伝統を重んじていて名前を残している。

当時の私は筋トレに夢中になっていたので、授業で軽く柔道をやる程度でもあまり乗り気ではなかった。軽くやっても多少は体力を消耗するし、そうなるとその日の筋トレに影響が出てしまう。
しかも経験ゼロの全くの素人だから柔道が上手な人の様には簡単には出来ないのがもどかしかった。

そんなこんなで半年以上経過したのだが、転機が訪れたのは「乱取り」(試合形式の技の掛け合い)を行うようになってからであった。
技なんてろくに出来なかったが、人より体重と筋力があったし、運動神経も人並みにあったので、ちょっとした経験者を相手にしても投げられなかったのである。(ちなみに私のクラスで本当に強い人は男女1人づついた程度であったが、その二人と対戦出来る様になったのは随分と後になってからである)
やっている事は素人のドタバタ劇だが、何となく柔道という格闘技の技の掛け合いを必死になって行ったのが面白かった。

私は以前からその見た目で「柔道か何かやっていたんですか?」と聞かれる事が多くあった。その都度「いえいえ格闘技の経験は無いんですよ」と答えていたのだが、それが相手の期待通りの返答が出来ない事にお互いが不満であった。しかも男としてそういった経験が無いのも多少のコンプレックスがあった。
しかし乱取りを行うようになってから自分が少しは柔道を主体的にやっているような気になり、同じことを聞かれても「ええ、ちょっとやってます!」と返事が出来る様になった。聞いた方も「やっぱり思った通りかあ」と満足しているようだった。

こういった事がきっかけとなり、頭の中は筋トレから柔道に傾いていった。丁度その頃は、数年間取り組んだベンチプレスが頭打ちになっておりメンタルが根負けしかかっていたので、これから伸びるであろう新しい分野に気持ちが移って行った。

そうなると持ち前のオタク気質がふつふつと動き出し、素人の私が強くなるためにはどうしたら良いか?ばかりを考えるようになった。

当時は首都圏に住んでいたのだが、有難い事に主要な柔道大会はテレビで放送していたので全て録画し、武道館など近くで行われる大会には足を運び、書店に並ぶ関連本にも目を通した。
柔道の授業は週一回だが、終わった後は先生に付き合ってもらい少し居残り練習をした。
またその直後に入った鍼灸科には、新宿の体育館にある柔道場に通っているという同い年のクラスメイトのN君がいたので、彼に連れて行ってもらい、そこにも週一回ペースで通った。柔整科2年生の1年間は柔道の授業が無かったので丁度良かった。
そこは新宿という大都会だけに、初級者から国際大会に出場された方など、様々な方が練習に通っており、大変貴重な経験をさせてもらった。

更に当時はシドニーオリンピックを控えており、柔道競技には野村忠弘、吉田秀彦、井上康生、篠原真一など、有名どころが候補者として名を連ね、業界的には盛り上がっていた。

他には筋トレも以前ほどではないが継続していたし、今までほとんど行ってこなかったランニングも行った。時間的に柔道の練習が出来るのは週一回しか無いので、その他の日に筋力や下半身のスタミナを付ける必要があった。これくらいやらないと満足に柔道を行うにあたっての体力が付かなかった。

こうして余暇時間の大半を柔道にシフトした生活を始めて数か月後、6月に渋谷区で行われる大会に初めて段外者の部(白帯)で出場することになった。

スポーツの大会はこれまでいくつか体験してきて、個人的には好きな方だった。
しかしこの歳で格闘技に出るというのは中々勇気がいる事だった。何せ格闘技は自分がどれだけ気を付けていても相手の出方によっては簡単に怪我を負ってしまう。しかも試合は全く知らない方が相手だ。この恐怖心を克服しないといけないが、それは練習するしかなかった。

初体験の柔道大会はトーナメント形式で3人と対戦し全部勝って優勝した。
これまで色々試合に出たが、2位や3位はあっても優勝は中々無い。
と言っても3人中、2人はクラスメートだったのでそれほど恐怖心は無かったが、普段の練習とは違い、目の色を変えて2人とも向かってきたので気迫負けしていた。勝った要因は体力差だけ。でも嬉しかった。
実はこの試合の1カ月前にはバーベルの試合にも出ていた。そこではトータルの自己ベストが出ていたのだが、柔道大会の結果に気を良くした私の気持ちの中はますます「やわらの道」に染まっていった。

ちなみにこの大会の金メダルや写真は学校の道場に飾っていたのだが、そのまま置いてきてしまった。今はどうなっただろう?私はプロセス重視なのでメダルや賞状には結構無頓着である。
がしかし、賞状は探したら出てきた(^^)/

続きはまた次回。



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